バリアフリービーチを振り返る

車椅子の親子を見て、愕然としたある日

大洗でビーチバリアフリーを始めようと思ったのは、パトロールから帰って来た時、駐車場から炎天下、汗をダラダラかきながら、着替えもしないで子供の車イスを押すお母さんに「着替えたらどうですか?」と声をかけたとき、「車イスで着替える施設がない、車イスを預かってもらえる場所がない」と言われたんです。

自分は普段から「誰もが安全に海を楽しむ」ということをライフセービングクラブのテーマとして掲げています。暑い日にせっかく海に来ても、海に入れないで帰る人たちがいるということを目の当たりにして、大きなショックを受けました。

素人だけでつくった「バリアフリー初年度」

当初はスタッフが自費で防災用のトイレやテントなどを設置して試行錯誤を重ねました。「車椅子用駐車場は、一般駐車場の1.5倍から2倍のスペースがないとダメ」など利用者から教えられることも数多くありました。
NHKで全国放送され、お陰で、翌日全国から障害者の方が来てくれました。「よくやってくれた」という励ましの声が数多く寄せられ、地元の方にも「自分たちの町はあたたかい町なんだ」という意識が高まったようです。ビーチバリハフリーは、町とライフセーバーが一体となって進めたので実現できたと思います。

2年目には、障害者の方々が団体で来てくれて、3年目にはランディーズも揃い、年々子供とカップルが多くなりました。障害のある体の部分を好きな人の前で露出して、仲良く手をつないで水辺で日焼けを楽しんでいる、自分としてはカップルが増えてきたことがとっても嬉しいです。

感動「海がわかった」

ある時ライフセーバーの女の子たちが泣いているんですよ。お母さんも泣いていて、訳を聞いたら、20代の息子に小さい頃から海の話をずっとしてたんですけど、海だけはその子に通じなかったんです。でも、生まれて始めて海に来て、靴下が波で濡れた時、お母さんに「海がわかった」って言ったんですって。お母さんからその話を聞いてスタッが泣くわけですよ。

また、70歳くらいのおじいちゃんが初めて海に来て、お尻が濡れるくらい波打ち際のところに座って半日くらい日焼けしているんですよ。それが嬉しいんですよね。

あるハンデを持った子は、家族で海水浴に行った経験が今までなかったんです。いつも留守番だったんですよ。でも今日は「妹と一緒に砂に埋めてもらった」って喜んでいるんですよ。

ビーチバリアフリーを行うためには、専用の施設だけ整備してもダメです。ケアできるマンパワーは必要なんですね。そういう意味でも、ライフセーバーがいる海にバリアフリーを普及させた方が早いと思うんです。何かあった時には安心ですから。

バリアフリーの第1段階は、障害者の人に海に来てもらう、第2段階は、プラスαで楽しんでもらう、そして車イスの人がライフセーバーになる。これが最終目標です。

今20代の男性で、「僕もライフセーバーになりたい」って言う人がいるんですよ。オーストラリアでは、車イスのライフセーバーがいます。ライフセーバーは、チームワークですから、助けに行く人もいれば、誘導する人もいます。車イスに乗ったスタッフがゴミ拾いをしたり、レスキューに一緒に関わったり、パトロールしたり、車イスで来る人の世話を車イスの人がしているんです。

日本でも、そういう人がイメージリーダーとなって、障害者の人や子供達に「自分もライフセーバーになれるんだ。」という希望を与えて欲しいと思っています。