20周年メッセージ(2012)

後悔なき、荒海への航海

zicoadachi

ライフセーバーとして2桁のプールと浜を漂流しながら、41年が過ぎた…玉手箱を開けずとも、いつの間にか〝白髭のお爺さん〟。否、驚くことに『海族ZICO船長』になっていた。大洗に上陸後、熱しやすく冷めやすい流れ者の船長が、どんな呪縛によって20年間も虜となっているのかを考えてみた。

1990年当時、関東近県から引く手あまたの勧誘を受けていたが、ある程度の達成感から、そろそろライフセービング引退と転職を考えていた。そんな折、JLA理事等を返上し、一介の漂流者として大洗で〝LSゼロスタート〟という選択はあまりにもリスキーではなかったのか?

「将来の大洗町のために、ビーチ創りをすべて任せたい」との担当者の熱を意気に感じ、迂闊にも「なけなしの人生」を大洗口座に振り込んでしまったのだった。

初年度、大洗の漁師系は眼光鋭くイントネーションが常に怒っているように聞こえたが、町全体がとても良くしてくれた。町の何処へ行っても声をかけられた。今でも「俺らのレスキュー」と呼ばれるのが嬉しい。通年の深い付き合いはないとしても、町中がライフセービングのサポーターだと感じている。20年続くジュニアライフセービングによって、将来町民全部がジュニアライフセービング体験者というギネスの町に成りえるか。(…あと半世紀は頑張らねば?)

何故か、ベテランクラブ員の多くが「大洗町への恩返し」を活動動機の一つに挙げる。LS活動を理解し、様々なことに挑戦させてもらったこともあるが、大洗に「人間的な温かさ」が実在している事が何よりだと思う。

また、水面には浮上しないが、東京を中心に関東近県の多くの皆さんにも大変お世話になっている。毎週ゝ、個人のポケットマネーで子どもたちに大量な菓子やスイカを送ってくれる方々もいる。沢山の子ども達の笑顔を生みだす有形無形の応援が、我々にとってはポセイドン級の支えとなっているのだ。

他にも我がクラブの過ぎたるものに三名の顧問がいる。
世界平和の為にと、ライフセービング活動を日本に取り入れ普及させた松浦さん。
人権問題に取り組み、地道なボランティア活動を続ける早川さん。
大洗のLSC創設に社会的意味を持たせた我が師、今は亡き小島さん。
「偉大な羅針盤」として公私ともに導いていただき、無知な我々にとって本当にありがたいことであった。誰からどんな指摘を受けようと、三顧問から与えられた「ライフセービング理念」を変えることは永久にない!!我がクラブは、今後も三顧問の描いた海図によって航海を続ける。

そして最後にクラブ員諸君!!
「余裕様!!!!」

20年にも及ぶEL-Nino号の航海も次々切れ目なく乗船して活躍したメンバーあっての旅であった。「我がまま」「気まぐれ」「品性下劣」な海族船長によく従ってくれた。感謝する。モービー・ディックを追うエイハブ船長のごとく、20年間妥協せずにライフセービングを追い求めてきたが、「過酷で見返りの無い」エンデュアランス号並みの旅は続く。なぜなら、「誰もが、安全に、楽しむ」アミューズメント・ユニバーサルビーチへは、まだ大海原が立ちはだかっているからだ。

単独航海が好きな船長も、大洗から出港して以来、EL-Nino号乗組員と航海すること自体に意味を感じている。
ここにネルソン提督のZ旗を掲げる…「20年間の手下どもよ!もれなく再乗船せよ!帆をあげてライフセービングへと導け!!」

ジェネレーションの波も高いが、臆するな。遠きものは心を乗せよ!ゴールはないかもしれないが、我々の目指す『宝』は必ずある。

そんなに急いで大人になることもないではないか?EL-Nino号と仲間は望めば、そこに在る。船長の心は『常に共に在る』
我、未だ木鶏たるを望まず…。

By Zico足立(2012)

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